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03.極論というスタンスの間違い

Dark Side》 2010/01/14 22:52

 最初に書いておくけど、これは俺の個人的意見だからね。

 今回は、色々なサイトで見かける「極論」についての考察です。


 TRPGのサイトに限らず、インターネットのweb上では様々なジャンルの論議がなされているし、説明や解説なども数多く発表されている。
 そんなサイトを数多く覗いてきて(俺自身インターネット歴は短いんだけどさ)、とても気になる事がある。

 それは、文章のプロフェッショナル/アマチュアを問わず、「断定口調」と「極論」が非常に多い、という事だ。
 特に困った事に、数多くの論議では「極論」対「極論」という、とても不毛な論議が、しかも延々となされている事だ。
 これは、非常に困った問題だと思う。
 要するに、まともなバランスを持った意見という物が見えないからだ。


 対個人の会話テクニックの一つに、反論・反発を前提とした極論という物は確かにある。
 極論を言う事で相手に考えさせ、反論させる事は会話や論議の中では非常に重要な事だし、「極論」と「極論」を並べて論議させ、その中で一つのバランスを形成し、意見を「昇華」させると言うのは論議の一つのスタイルではあるだろう。

 しかし、これはあくまでも「会話」であり、あるいは「対話」である事が前提のテクニックなのだ。

 「会話」というのは基本的に一方通行ではない。従って、相手の反応を予測して、それを誘導するように「話」を展開していく事ができる。
 特に「対話」というのは1対1の会話であり、相手の反応や反論をほぼ確実に期待できる訳であるから、有効なテクニックである事は否めない。

 しかし、web上というのは、あくまでも「相手の顔の見えない世界」である事を忘れてはならない。
 実際に顔を合わせている場合、相手の反応を見る事が可能だろうし、場の雰囲気を作り上げる事で「反論させる/してもらう」事が可能だろう。
 だが、「相手の顔の見えない世界」ではそうはいかない。
 極論をタレ流し続ける者に対し、「顔の見えない来訪者」は反論などせず、ただ無言でその場を立ち去るだけなのだ。
 そして、その「顔の見えない来訪者」という存在は論議に参加している者には気づかれないまま、ただ数だけを増やしていくのだ。

 そして、その結果は見るまでもないだろう。
 気づけば、目先の論議に熱中して「害のある極論」をタレ流し続ける不良サイトが一つ増え、そしてその論議していたジャンルに対して「興味を失った」、あるいは「論議自体を駄目な物と考える」、決して戻ってこない数多くの来訪者が残るだけだ。


 更に、web上では気をつけなければならない事がある。
 それは、「web上での発言は文章である」という事だ。

 会話・話・声という物は、文章と比べると存在として軽いのだ。

 文章という物は、それだけで「それなりの説得力」を持つ物であるし、「文章」に望むスタンスによって、「受け取られ方」が異なってくる。

 例えば俺が、「XXって奴は最低だよ」と言ったとしよう。笑顔で。
 これは、俺がフザけているのがすぐに分かるし、大抵の人は俺とXXは知人である事、あるいは結構仲の良い関係である事を見抜くはずだ。
 しかし、これが文章だったらどうだろうか?

 「XXという奴は最低だ」という文章。
 これは、それだけでXXさんの人格を否定する物であり、XXさんを告発する物であり、そしてXXさんの名誉を毀損するものだ。決して何ら理由無しに許される物ではない。
 いや、理由があっても許される物ではないだろう。「最低だ」としている理由すら明確にしていない以上、告発ですらあり得ず、ただの名誉毀損を目的とした文章なのだから。


 「言葉」というのは、「話す(言葉として表現する)」「聞く(言葉として理解する)」で2つのステップで理解される物だ。
 それに対して、文章は「言葉として表現する」「書く」「読む」「言葉として理解する」という4つのステップを踏んで理解される。

 そのため、文章というのは本来的に「言葉・記憶の記録」の為にあるにも関わらず、誤解や勘違いの起きやすい記憶媒体なのだ。
 また、そのステップの多さから人には忌避されやすく、その為になおさら「格式張った」印象を与えがちでもある。

 そのために、「文章」という形で「極論」を行う事は、相手に反論をさせず、また「格式張って」いるためにそれなりの説得力を持ってしまう。

 いくら「極論」を並べる人であっても、それは意見の相対化を行わせる為であって、「極論」自体を「これが正しいのだ」と取って欲しい訳ではあるまい。

 それを考えると、web上での「極論」という物がいかに虚しいか、あるいは逆効果であるかがよく分かると思う。

 自分の意見を理解させるよりも、「極論」を言う事で「考え方自体」を理解して欲しいという気持ちはよく分かるし、その方が楽であるのも分かる。
 しかし、あえて「文章」という発表方法を使う以上は、「楽」をせず、誤解を招かないよう、ちゃんと考えた書き方をして欲しい。
 その上で、「自分はどうしてそう考えるのか」という、「自分の考え方」という物を組み込んで、「自分の意見」とその「正当性」を全面に押し出して欲しい。
 それによって、それを見た人も「正当に」考える事ができるのだろうし、文字数・ページ数という制約のある商業的文章とは違い、商業的な制約がないインターネットだからこそ、それができるのだから。


P.S.
 この文章はあえて「断定的」に書いてみました。
 この様に書くと、なんとなく威圧感があり、「無理矢理納得させられる」という事がよくわかるのではないでしょうか?

 ちなみに、俺自身はこの意見は「俺なりに正しい」と考えてます。


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当ページへのコメント

極論で検索をかけたらひっかかった。
勉強になった。

2013年2月9日 7:48 AM[。]

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