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027:「神官」が冒険に出る理由

TRPGコラム》 2009/11/15 21:56

 さて、今度は神の信徒であり、あるいは代理人である「神官」について考えてみましょう。

 神官とは、言うまでもなく聖職者階級に属する人間です。
 特に、神の影響力が強く、人々も敬虔である中世の世界では、非常に強い力を持った人々です。
 神官達は信徒からの寄付だけで充分に生きて行けますし、祭り事を取り仕切る事で、人々に必要とされる存在なのです。

 しかし、それにも関わらず、ファンタジーTRPGの冒険者パーティを見ると、そのほとんどに神官がいるはずです。

 生きていけるだけの糧があり、人々にも常に必要とされる聖職者が、何故、冒険などという危険な事に首を突っ込むのでしょうか。
 聖職者ともあろう者が、金銭や危険に魅力を感じて、冒険という愚挙に出ているのでしょうか。

 さすがに、そうであるとは考え辛いですよね。
 中には金銭や危険に取り憑かれてしまった破戒僧でも言うべき神官もいるでしょうが、ほとんどの神官は、個人的な信仰心によって、「冒険」という名の修行を行っているのでしょう。

 以前のコラムで取り上げましたが、多神教の世界では「神」が多数存在しますから、基本的には神ごとに信者の取り合いが発生します。
 そうなると、信仰心の強い、熱心な神官であるほど自分の信じる神の為、違う神を信じている人々の為に「自分の信じる神こそが最も信仰に値する」という事を説いて回る事を望むのです。
 しかし、規則と時間に縛られてしまう神殿付きの神官ではそういう訳にも行きません。

 また、神が実在し、神の奇跡を実際に起こせる世界で、しかも一人が一日に起こせる奇跡には限りがある世界ですから、神の奇跡を無限に与える訳には行きません。
 そうなると、たとえ神官個人が無償で奇跡を与えたいと願っても、神殿では「何らかの代償」と引きかえにしか奇跡を起こす事ができない訳です。

 この二つの縛りが、神官達を冒険に駆り立てるのではないでしょうか。

 冒険中の神官は「修行中」という扱いであり、神殿には縛られませんから、「個人的な布教活動」は自由に行えますし、奇跡を無償で与える事も許されるのです。

 また、冒険という修行によって神官自体も鍛えられ、より神との結びつきが深まるチャンスも増えます。
 あるいは、冒険で得た収入を貧しい者に分け与える事も自由にできるでしょうし、冒険で大きな収入を得る事ができれば、神殿のない辺鄙な地方に新しい神殿を立てる事が出来るかも知れないのです。

 これは、あらゆる聖職者にとってとても魅力的な考えであると言えるでしょう。
 こうして、神官は冒険に出る事を決めるのではないでしょうか。

 信仰心以外を捨て去った神官であっても、いえ、むしろそうであるからこそ、神官にとって冒険という者は魅力的なものかも知れませんね。


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