ロールプレイとは(如月翔也の定義編)

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どうもこんにちは、如月翔也(@showya_kiss)です。
 今日はTRPGの「RP」である部分の「ロールプレイング(Role-Playing)」についての定義を考えていこうと思います。
 もちろんこれは僕の個人的な考察であってこの定義が完全な定義であるという訳ではないので注意して読んで頂けれると嬉しいです。

ロールプレイング(Role-Playing)とは

TRPG(Tabletalk-Role-Playing-Game)とはテーブルでロールプレイングをするゲームなんですが、じゃあロールプレイングってなんなんでしょうね、というと、結構定義がブレる言葉なので、一度整理して考えてみたいと思います。
 物凄くざっくりした言い方をすると、「パーティ内での役割分担」>「社会での役割分担」=「ストーリーでの役割分担」>「キャラクターの内面表現」であると僕は考えます。
 大なり、イコールの記号については良い悪いを表しているのではなく、主に大なりの左側は右側の概念を含む概念であるという意味合いで使っています。

ロールプレイングの変遷

TRPGはもう50年になる歴史を持っており、最初は米国のTTRPGに端を発して一つの文化として日本にわたってきたゲームなんですが、日本で50年遊ばれ続けている中で独自の進化を遂げており、その中でTRPGの主軸とも言える「ロールプレイング」の概念も変遷してきています。

パーティ内での役割分担

最初の段階のTRPGで言う役割分担というのは、プレイヤーが集まってキャラクターを作り一つのパーティを組むのにおいて、パーティ内での役割分担を明確にし、それらしい行動を行わせる事を指していました。
 ファンタジーでいうと戦士は前線を形成して殴る仕事、盗賊は忍び足で不意打ちを取ったり罠や鍵を解除する仕事、神官は他キャラクターを回復する仕事、魔法使いは魔法を使う仕事、という分担があり、その「分担」の行動をロールプレイと称していました。

社会での役割分担

TRPGが広がるにつれてゲームの扱う世界はダンジョンを飛び出して世界に広がりました。
 すると当然の事として、社会において存在するキャラクターは「社会での役割分担」を求められます。
 これはパーティを社会と考えると「パーティでは戦士」という役割分担をしているんですが、もっと広い世界観で考えるとそのキャラは「街社会では冒険者」だったり「家庭では父親」だったり「貴族階級では騎士」だったりという「社会での役割分担」を担っている訳です。
 そういう経緯から、ロールプレイには「社会での役割分担」という意味合いを含む意味になってきました。

ストーリーでの役割分担

これはTRPGが日本で「ストーリーのゲーム」として発展する中で派生した概念だと僕は考えているんですが、TRPGをストーリーを扱うゲームとして考えた場合、「ストーリーでの役割分担」という考え方が発生する事になります。
 例えば一般的に言えばそのストーリーにおける主人公の立ち位置、主人公を導く立ち位置、ライバル、補佐役という立ち位置がありえます。
 これについても広い意味で言うとロールプレイの範囲であると僕は考えていて、一部演技主導とされるシステムではこの意味での役割分担が出来ないとプレイがし辛い・詰むゲームも存在しており、重要な要素であると考えます。

キャラクターの内面表現

これは厳密にはロールプレイングとは言えない部分なのですが、今日本のTRPGで「ロールプレイ」と言われる概念の一つに「キャラクター演技」が挙げられます。
 キャラクターそのものの個性を演技する事をロールプレイと称する動きが大きなムーブとして存在し、それは否定しないですし否定されるものでもないですが、正確にはキャラクタープレイと言うべきであると思います。
 しかし、キャラクター演技の中にはそのキャラクターが社会の中で求められている「キャラクター自身の」役割演技が存在しますし、シナリオ上集まった人間関係内での(ミニマムな社会としての)社会的な役割演技も含められているので厳密にはロールプレイを含む演技であるのでそれをロールプレイというのが間違っているとは思いません。

TRPGにおけるロールプレイとは

TRPGにおけるロールプレイとはこういう感じでどんどん含む意味合いが大きくなる方向性で概念が広がっているのですが、ここでポイントとなるのは、TRPGにおけるロールプレイは本来ゲームに貢献するために用いる縁起であるという事です。
 TRPGにおける明確なゴールは「ゲームマスター・プレイヤーともに全員が楽しんでセッションを終える」事に据えられており、それに寄与する演技が正確な意味でのロールプレイとなります。
 そういう意味ではゲームを停滞させる無限問答やキャラクター性を理由としてのシナリオ逸脱行動なんかは正しい意味ではロールプレイとは言えず、むしろキャラクター性をいかに「セッションに寄与できるように使うか」を考えるのが正しい意味でのロールプレイの使い方ではないかと思います。
 もちろん落とし所を考えて「楽しい」パーティ内対立をしたりゲーム時間が超過しない程度での楽しみを目的とした茶番はセッションを楽しくする演技なので全然アリなのですが、今している演技がシナリオやセッションに寄与できているのかは考えた方が良いのではないかと思います。

良いロールプレイとは

ロールプレイを語る上で避けて通れないのは「何が良いロールプレイで何が悪いロールプレイなのか」という点なのですが、誤解を恐れずに言うと、僕が考える良いロールプレイとは、「シナリオかセッションに貢献できる演技」だと考えています。
 キャラクターを上手く設定して完全にキャラクター性を発揮して演技しても、本人以外誰も楽しくなくてシナリオも進行せずセッションも無事終わらなくて、結果1人でも楽しくなかった人が発生したとしたらそれは悪いロールプレイで、逆に言うとキャラクター性を完全に発揮しつつシナリオに寄与してセッションにも寄与して、結果参加者全員が楽しくて満足できるゲームであったのであれば、その演技は完璧だったと言えると思います。
 大事なのは多人数参加のゲームなので「みんなが満足する」に寄与できる演技ができればそれが最高で、そしてそこが狙っていくべきロールプレイだと考えます。

まあ古のゲームでGURPSなんかは「シナリオ・セッションの成功よりも作ったキャラクターの再現性が一番大事」というゲームもあったのですが、そういう特殊なゲームを除いて、基本的にはシナリオ成功・セッション成功を目指しつつメンバー内でうまくトスを上げてアタックを決めながら楽しく進行して行くのがいちばん大事なので、そこを目指してプレイして行く事を強く推奨します。

という訳で、僕の考える「ロールプレイとは何か」という定義について明文化してみました。
 あくまでも如月翔也の個人的な意見としての定義ですが、一つの参考意見として捉えて頂けると嬉しいです。

この記事を書いた人 Wrote this article

如月翔也

 如月翔也です。TPGとアナログゲーム、PCが大好きな中年男です。このブログでTPGについて色々触れています。コメントを貰うと非常に喜ぶのでお気軽にコメントをお願いします。