023:死

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 TRPGだけに関わらず、世界は「生」と、同じだけの数の「死」に囲まれています。

 理想の幻想世界に住む、キャラクター達であっても、その死という名の運命からは決して逃れる事はできません。

 TRPGの変遷に従い、「キャラクターの死」も様々な形に変遷しています。

 キャラクターの死は、「プレイヤーの損失」から「世界の構成要素の消失」を経て、「一人の人間の人生の終わり」へと移り変わっていったのです。

 ここで一つ、私が「キャラクターの死」について考えさせられたエピソードを紹介します。
 「ストーリー重視」のTRPGをプレイしている最中、シナリオの最終場面の事です。


 シナリオの最終場面、最後の敵は強力でした。
 パーティ全員が協力し、死力を尽くして最後の敵を傷つけ、追い詰めました。
 しかし、その時パーティの面々も満身創痍で、最後の敵が次に放つ攻撃で、パーティの全滅もありえる状況でした。

 そして、その時一人のプレイヤーが「ここが見せ場だな」とつぶやき、一つの決断を下しました。
 その「ストーリー重視」のTRPGには、最後の手段として「自分の死と引きかえに放つ、強力な必殺技」という攻撃オプションがあったのです。

 そのキャラクターは、我が身の危険を顧みずに最終手段を使い、見事に最後の敵を討ち取ったのです。
 ……そして、そのキャラクターは死にました。

 ストーリーとして、実に美しい展開です。
 TRPGで求められる、いわゆる「王道」とさえ言えるかも知れません。

 しかし、一つだけ問題がありました。
 死んだキャラクターには、「何者かに拐われた妹を見つけ出す」という大きな目標があり、今回のシナリオでは、その妹は出てこなかったのです。
 つまり、そのキャラクターは「妹を見つけ出す」という大きな目標を捨ててまで、「最後の敵を倒す」事を選んだのです。


 さて、このシナリオで命を落としたPCは、自らが望んで死んだのでしょうか?
 それとも、プレイヤーのエゴによって、望まない死を押し付けられたのでしょうか?

 私には、後者にしか思えないのです。
 無論、現実の人間がそうであるように、PCも望まない死を与えられる事の方が圧倒的に多いでしょう。
 しかし、プレイヤーには、キャラクターをあらゆる意味で生きさせる義務があるのではないか、と思うのです。

 キャラクターが真の意味で生きるための「死」であれば、むしろ積極的に死ぬべきかも知れません。
 しかし、キャラクターに「死」を与える前に、そのキャラクターが何故死を選ぶかを考えて欲しいのです。

 美しいストーリーの為ではなく、プレイヤーの満足の為ではなく、キャラクター自身が納得して死を選んだか。
 それこそが、TRPGで求められるべき「死」のリアリティではないかと思うのです。

 冒険者とは、頼るべきもののないアウトローです。
 そして、そのアウトローが持つ唯一にして最強のカードが自分自身の命なのです。

 その命、その死について、貴方ではなくキャラクター自身が考えて決断する事。それこそが、アウトローの誇りなのではないでしょうか。

この記事を書いた人 Wrote this article

如月翔也

 如月翔也です。TPGとアナログゲーム、PCが大好きな中年男です。このブログでTPGについて色々触れています。コメントを貰うと非常に喜ぶのでお気軽にコメントをお願いします。