TRPGがとても楽しい物であるとされている理由の一つに、「面白い物を何でも組み込む事ができる」という、自由度の高さがあげられると思います。
例えば、「戦略シミュレーション」が好きな人であれば、セッションの中に「戦略シミュレーション」的な要素を組み込んでもいいのですし、「音楽にこだわる」人であればセッション中のBGMに凝ってみるのも良い手段です。
さて、話は変わりますが、TRPGのプレイヤーには個性があって然るべきですよね?
それでは、「ゲームの判断者・裁定者」であるゲームマスターには、個性は必要なのでしょうか?
実は、ゲームマスターにも個性は必要なのです。
TRPGはメンツの遊びでもありますから、セッションの参加者によってゲームの内容・質が変わるのは当然の事です。それは、プレイヤーだけの話ではありません。マスターの話でもあるのです。
もし、ゲームマスターに個性を認めないのであれば、それはコンピューターを相手にしているのにも等しく、TRPGの「会話・コミュニケーションによって行うゲームである」という前提を覆してしまう事になるからです。
それでは、ゲームマスターはどうやって個性を出せばいいのでしょうか?
それは、その人らしいマスタリングによって個性を演出するべきなのです。
とはいえ、「GMの人間関係をゲームに持ち込む」だとか、「NPCの性格をGMの性格のコピーにする」と言った、問題のある個性の演出ではいけません。
それでは、どうやれば問題なく、個性を演出できるのでしょうか?
ここで、一番最初の文章の話に戻ります。
それは、TRPGの自由度の高さを生かし、マスター個々が「好きな物」や「得意とする物」をTRPGにどんどんと取り入れて行けば良いのです。
当然、自分の得意な物だけでTRPGを構成する事はできませんから、「シナリオ」や「キャラクター」、「世界観」や「ルール」とバランスを取った上で、隠し味として「個性」を取り入れなければならないのですが、人間、自分の好きな物や得意な物に関しては結構簡単にバランスを取る事ができますから、あまり心配はいらないと思います。
そして、「得意な物」や「好きな物」を取り入れる事で、マスターをする事が義務ではなく権利になって行きますし、色々な物を取り入れたりバランスを取ったりする事で、マンネリ化を防ぐ事もできるのです。
この作業を繰り返す事によって、マスターは「自分らしいマスタリング」という物を培う事ができますし、人間の興味は移り変わりする物ですから「常に新しい要素を取り入れたセッション」を作り上げる事ができます。これは、マスターとしてもプレイヤーとしても、実に良い事であり、TRPGに飽きる事無く、TRPGを長く楽しむ為にはとても良い方法なんですね。
この様にして「自分流のマスタリング」という物を作り上げていくのもTRPGならではの楽しみですし、TRPG以外の趣味がTRPGに活用でき、リンクできるというのはとても楽しい事です。
なにせ、TRPG以外の趣味に没頭していても、TRPGのマスター技術は上昇していくのですから、マスターの技術向上という「TRPGの命題」も、意識する事すらなく達成できてしまうのではないでしょうか?
やはり趣味はあくまで趣味ですから、必要以上の努力はしたくないでしょう。でも、これならば簡単にこなせそうに思えませんか?
マスターをする時、隠し味に「自分テイスト」を入れるのも、また楽しくてお洒落な事だと思いますよ..?