TRPGに必要なもの。
それはダイスだったり筆記用具だったりキャラクターシートだったりもしますが、一番必要なものと言えば「プレイヤー」と「ゲームマスター」に他ならないでしょう。
それのないTRPGなんて、(ほぼ)ありえませんから。
しかし、TRPGでは「プレイヤー人口」と「マスター人口」では明らかにプレイヤー人口の方が多いのです。
TRPGではプレイヤーを集めるのにも苦労しますが、GMを集めるのにはもっと苦労するというのが一般的なのではないでしょうか。
さて、そんなゲームマスターですが、今回はゲームマスターがどんなに楽しい事なのか、それに挑戦するには、といった事を考えてみましょう。
さて、マスターの仕事と言えば、主に「シナリオを作る」事と「セッションを行う」の2つだけです。
しかし、「シナリオを考えなければならない」とか「様々なプレイヤーの宣言を解決しなくてはいけない」、あるいは「NPCを演じなくてはいけない」、「1人で大勢のキャラクターを管理しなくてはいけない」という事から、GMは忌避されがちなんですね。
ですが、ここではその意見に対して、あえて反論をしてしまいましょう。
「シナリオどころか、物語全体をデザインし、発表できるのはGMだけです」
「プレイヤーの行動を判断し、許可や却下ができるのはGMだけです」
そして、「NPCという”完全なキャラクター”を、しかも複数扱う事が許されるのはGMだけなのです」
とだけ書いても、あまり説得力はありませんね。
それでは、簡単に例を挙げてみましょう。
例えば、貴方は「剣と魔法のファンタジーの世界で、姫と盗賊のラブロマンスをやりたい」と思ったとしましょう。
もし、貴方がプレイヤーであれば、余程の幸運がない限り、そんなシナリオは楽しめません。
ですが、貴方がGMであれば、「姫と盗賊のラブロマンス」をモチーフとしたシナリオを作る事ができます。もちろん、キャラクターが関与できる形でのシナリオで、ですが。
そして、プレイヤーの中に貴方と違うファンタジー観を持った人がいたとしても、貴方がGMであれば、「これが俺のスタイルだから」と言う事で「貴方のファンタジー観でのゲーム」を行う事ができます。無論、相手にあわせる事は大事な事ですが。
そして、貴方はNPCとして「姫」を好きなタイプに設定できますし、「盗賊」も好きなように設定して、演出する事ができます。もちろん、彼らはあくまでNPCであり、主人公になってはいけないんですが。
この様に、マスターというのはいくつかの制限がある物の、「TRPGに置いては最も自由に表現をする事が許される」のです。
プレイヤーとしては不可能に近い「状況の演出」や「話の流れの誘導」、あるいは「全ての情報を自分だけが知っているという状況」までも楽しむ事が可能なのです。
これは、実際にプレイするために必要な手間や、プレイ中に必要とされる数々の出来事の分を差し引いても、絶対的に素晴らしく、面白い事なんですね。
もちろん、TRPGではゲームマスターは神ではありませんし、絶対的な存在ではありえないのですが、それでもGMにだけ許される事というのは数多く存在しますし、その中にはGMならではの楽しみというのも数多くあるのです。
どうでしょう、プレイヤーばかりやっている方も、一度思い切ってGMをやってみてはいかがでしょうか?
きっと、「GM中毒」になる人の気分が少しは分かってくると思いますよ……?