TRPGでは様々な場面で「役割分担」が行われています。
例えば、戦闘時に壁となって仲間を守る人、回復魔法で仲間を癒す人、交渉場面で主導権を握る人、あるいはパーティの共有財産を管理する人、面白いギャグでパーティの気持ちをほぐす人など、様々な意味での「役割分担」が(意識的にせよ、無意識にせよ)なされているはずです。
実は、この「じゃあ、私は〜という役割ね」という「役割分担」は、TRPGをTRPGとしている最も重要な要素なのです。
TRPGの魅力の一つに、「ロールプレイ(Role Play)」というものがあります。
これは、様々なコンテンツで振れていますが、「ロールプレイ」とはすなわち「役割を演技する事」であり、これがTabletalk Role Playing Gameの楽しみであるのは当然の事とも思えます。
しかし、実は「役割分担」はもう一つの意味の演技である「人格演技(キャラクタープレイ、と呼びます)」の観点でも、とても重要なのです。
キャラクタープレイでは「1人のキャラクターを表現する」事を重要視します。
そして、「1人のキャラクターを表現する」という事は、すなわち「リアルなキャラクターを演技する」という事です。
そうすると、リアルなキャラクターである以上、万能なキャラクターではありませんから、キャラクターが冒険に立ち向かう場合、普通は「足りない部分」があり、それを補う必要があります。
つまり、「自分の得意分野を必要とする、自分に足りない能力を持った者」を探し求める訳です。
その結果、1つの冒険者パーティが結成されます。
つまり、普通であれば、パーティの結成は「役割の分担」を求めて行われている訳です。
すなわち、個々のキャラクターは互いに最低限の情報として「誰々は〜という役割を果たせる」という事を知っており、その分担がなされている、と考えるのが自然です。
そして、パーティとして行動している中で、友情や愛情、仲間意識が産まれ、それによって個々人の個性が引き出されて行くはずです。
そのように考えると、パーティの一員であるという事は、それだけで「パーティ内での役割分担を求められ、それをこなしている」という背景設定を持っているという事になります。
そして、「1人のキャラクターを表現する事」が目的である「キャラクタープレイ」においては、この根本的な背景設定を無視する訳にはいかないんですね。
その背景設定を守った上で、「この場合だけは心情的に役割分担に協力できない」という事はあっても良いと思います。
しかし、その前提を守らない上で、「常に役割分担に協力できない」というのは、あまりにもリアリティがないと思いませんでしょうか?
「役割」を大事にするロールプレイでも、キャラクターを大事にするキャラクタープレイでも、「役割分担」というのはとても重要な事なんですね。
みなさんも、あえて「役割分担」を重要視したキャラクタープレイに挑戦してみませんか?
きっと、キャラクターの「好き勝手な主張」ではない、「正当な主張」が聞かれるのではないかと思いますよ。